シルバーペーパー

秘密結社「シルバーペーパー」

僕らはフラットになれない

Googleなどの検索エンジンや、TumblrTwitterといったソーシャルメディアの発達によって、人々の暮らしは劇的に変わりつつある。ニュースを読み返したり、ちょっとした調べ物をするのに、アナログ媒体を手にとって何ページのどの行か調べなければならない、そういった情報への接続コストは年々減り続けている。誰もが同じものを見て同じものを読み、やがて私達は完全に同じ情報を共有し、フラットな世界で生きることになるのだろうか。

 

知識の均質化、あるいは情報の陳腐化

誰もが情報を得ることが容易になったということは、何を意味するのだろう。考えてみよう。まずは、情報が「入手しやすいこと」と、実際に情報を「入手すること」の間にあった壁が取り払われたことだ。本来そのふたつの言葉のあいだには、情報への接続コストという一枚の仕切り板があった。それが取り払われた今、二者が漸近することによって、容易にアクセス可能な情報を入手することの価値というのは著しく下がっている。

 

「秘密」の価値

容易に入手できる情報の価値が下がる、というのは、知ったかぶりが通じにくくなってきたことでもある。ネットで3秒あれば調べられるような誰もが知っているという前提が、もはや当たり前のこととなりつつある。ああ、それね、僕もまとめサイトで見ましたけどね(笑)、という具合である。そして誰しもが同じ情報を共有している世界において、既知の情報をさも得意げに言う人間には容赦無く「薄っぺらい人間」の烙印が押される。

一方で、外国語でしか読めなかったり、サイト自体が消失してWebArchiveにしか残っていなかったり、アナログなメディアにしか残っていないような、検索エンジンから容易にアクセスできない情報の価値というものは相対的に非常に高くなってきているのではないだろうか。

 

かくして僕らはフラットになれない

誰も知らない情報、ありきたりでない情報は、ありきたりな情報に見慣れた人々の目に特に新鮮にうつるはずだ。同じ知ったかぶりでも、知ったかぶる知識が安易に人から手の届かないところにあれば途端に見ぬかれにくくなる。知ったかぶりにもスキルが求められる時代だ。

そう遠くない未来、人は誰でも入手できる情報にほとんど価値を置かなくなるだろう。そして人はかつてないまでに秘密を渇望する。誰も知らない物事に価値を置くようになる。誰も知らない「秘密」の情報源をもつということである。均質化する社会の中で自分の価値を残したいのなら、これからはいかに手持ちの札を隠しながら、情報を小出しにして生きていくかということが重要だ。いかに共有しないかが鍵になる。

これは面白い現象だ。知識の共有が結果として非対称性を後押しするのである。皮肉なことに、ソーシャルメディアなどによって大衆の知識が共有されフラットになればなるほど、誰も知らない秘密の情報の価値は高くなるのだ。

ネットを手に入れた人間とそうでない人間の間に生まれた圧倒的格差(デジタル・ディバイド)の次は、「秘密」を手に入れた人間と手に入れられなかった人間の圧倒的格差かもしれない。

 

はのん