シルバーペーパー

秘密結社「シルバーペーパー」

英国の政治観

先日、文春新書の『英国大蔵省から見た日本』を読んだ。10年以上前の本で既に絶版であり、当時財務省の官僚だった著者は現在自民党議員として安倍政権下で外務大臣政務官を務めているようだ。本書は英国行政の中心地から、幅広く日英の国民性などを比較したものである。学術書ではないためあくまで主観的・直感的な見地に立った内容だが、英国民の政治観についていくつか示唆的な部分があったので、特に印象的だったことを書き留めておきたい。

 

民主的独裁制(Elective Dictatorship)

英国の権力構造は、三権分立から遠いところにあるのは社会科学に多少の知識がある人間なら既知のことだろう。政策は内閣の強力なリーダーシップで主導され、政府提出の法案はほとんどが議会を通る。成文憲法がない英国では裁判所に違憲審査権もなく、その実質的な役割は貴族院(この場合、民主的な代表ですらない!)が担っている*1。与党議員ですら内閣に干渉できる度合いは小さく*2、法案採決に関して与野党幹部の支持を取り付けるため関係閣僚や官僚が国会周辺を走り回る日本とは対照的である。議会が内閣に対して比較的影響力を発揮できるのは歳入に関する部分、つまり税制*3についてのみであるが、歳入額が一度決まればそれをどう配分するかはほぼすべて政府主導で決まる。英国の政治構造の基本は「権力の混合(Fusion of Power)」であり、立法権行政権司法権の厳格な分立が図られているアメリカとは全く異なる*4。そして、現行の民主的独裁制とも呼ばれる権力集中体制について、多くの英国民は納得している。

著者はこの英国民の政治意識について、民主的に選ばれた代表に対する強い信頼感と、英国法体系の持つ実際主義が根底にあると見ている。民主主義とは自己統治の体系であり、代表者の決定は自分たちの決定である。人が人である以上、間違いを犯すことはあるが、選挙で選ばれた代表が犯した間違いならば、みんなが納得できる。政権を預けられないと判断すれば、野党に票を投じるのみである、という非常に実際主義的な感覚である*5

しかし、非民主的要素が意思決定の過程に挟まると、彼らは途端に敏感になる。伝統的な英国の行政は首相を筆頭とする大臣団*6(Ministerial team)の合議*7、あるいは各大臣の判断で推進されるものであり、そこに民主的に選挙されていない官僚が口を挟むことは許されない。ところが、当時のブレア首相は首相補佐官や特別顧問を大幅に増員して、首相と側近の高官たちだけで政府を支配しようとする傾向があったため、これをマスコミはホワイトホール*8ホワイトハウス*9と攻撃した。大臣らは失政があれば議員としての地位も失う恐れがあるが、民間人や官僚にはその心配がない。有権者としては一票を投じることによる異議申し立てのしようがないのだから、当然の反応とも言えるが、日本人にはあまりない感覚のように思える。

 

責任(Responsibility)

英国の大臣団は、責任を「共有」するのではなく「分担」するという。日本ではさながら大臣の代理か小間使いのような役割を演じている副大臣・政務官だが、英国の閣外大臣たちは具体的な担当分野がそれぞれに割り振られ、閣内大臣*10と責任を「分担」する構造になっている。もちろん最終的な責任を負うのは閣内大臣、引いては首相であるが、国会質疑や関係会合に自分の名で出席・答弁し、政策実施に積極的に働きかける閣外大臣たちの姿は、日本とは大きく異なる*11。また、役割を分担することは責任の所在を明確にすることでもあり、内閣にあまりに多くの議員が入るため、責任があいまいになりやすいという批判に答える意味もある*12

また、役所が所管する行政分野についても、「権限(Authority)がある」という言い方はされず、「責任(Responsibility)を負う」という言い方が多用される。つまり、責任を負える限りは担当の行政分野であって、役人たちの権限争議も日本ほど醜いものではないという。著者は英国時代、国際金融犯罪の取り締まりにあたって、犯罪対策に「責任を負う」内務省と、金融行政に「責任を負う」大蔵省と、対外折衝に「責任を負う」外務省の見事な連携を目の当たりにしている。

 

官僚制(Bureaucracy)

官僚支配が叫ばれて久しい日本の政治だが、英国ではそのような言説はほとんど聞かれない。著者はその理由について、内閣(政府)と議会の分離、そして役人の奉仕対象の違いにあるという。先ほど英国の特徴は権力の混合にあると書いたが、これは内閣と議会が並び立つという意味ではなく、むしろ内閣に権力を集中させることで行政が立法を従えて事に当たれる、という意味である。100人を超す議員が大臣団として内閣に移る英国では、議会は内閣の監督機関に過ぎないとまで言われ、実際に政府提出法案がほとんど議会を通っている現状からも、議会が内閣に対して受け身な態度を取っていることは間違いない。

議会と内閣の関係は分かった。では議会と役人の関係はどうかといえば、これもまた疎遠である。英国では官僚機構は時の内閣の資源(Resource)とされ、たとえ与党議員であろうと役人を呼び出して説明をさせるといったことはできない。これは慣習などではなく公務員規範(The Civil Service Code)で定められた公式の制度であり、役人は基本的に大臣とだけ接触する。官僚機構は選挙で勝利した党の占有物であり、ゆえに野党は自力で企画立案するために自前の政策集団を抱えなければならず、それが間接的に英国議員の政策立案能力を支えている、ともいわれる。また与党も、日本のように大臣ポストを派閥の論理で割り振るといったようなことはせず、若い議員を積極的に入閣させて実務能力の向上を図る。その過程で働きぶりを審査(Screening)して、能力があると見なされた者だけが閣内大臣の地位まで登り詰めるのである。

日本の公務員は「全体の奉仕者」と憲法で規定され、この文言ゆえに役人は大臣に限らず野党議員や民間人に対してまで説明に走り回されることになるのだが、英国の役所にこのような慌ただしさはない。英国政府の役人は元々国王に対してのみ忠誠を誓うしもべであり、立憲君主制の現代では忠誠の対象は首相ならびに大臣団である。彼らの仕事は大臣を補佐することのみであり、野党議員に呼ばれたところで応じる必要はないし、官僚機構を内閣の占有物と見る大臣もそれを許さない。与野党に接触するのはあくまで大臣の仕事とされ、実際そのように運用されている。

国会質疑で大臣の答弁を補佐することも役人の仕事だが、これもまた日本のように深夜1時ごろ舞い込んでくる野党の質問書に役人が徹夜で答弁資料を作成して翌日に大臣が棒読みする、といったものではない。野党は当該審議日の少なくとも3審議日前*13までに書面もしくは口頭の回答を求める質問書を提出する必要があるため、役人は期限日までにじっくりと答弁資料を整えられて、大臣もそれに目を通す時間が十分にある。議会答弁のときは大臣の後ろに控えて予想外の質問に備える議会対策の役人もいるものの、そもそも大臣が議会に出席する頻度が日本より格段に少ない*14ため、役人が議会に出席する機会もそれほど多くない。必然的に役人が議会に拘束される時間は最小限になり、政治家と独自のパイプを持つ必要もなくなるため、政官の癒着が起きにくい。

利権問題に関しても役人が槍玉に上がることはほとんどない。英国は日本以上に中央集権型の国だが、一度中央に集めた財源の多くを地方にヒモなしで配分してしまうため、中央の役人が補助金行政などで利権を得ることはできない。許認可行政に関しても、第三者機関の関与が日本よりも大きいこと、伝統的に安全性・環境面以外の規制が少ないことが、役人の恣意的な運用を未然に防いでいる。

 

日本の政官関係

英国の政治制度を概観して気付かされるのは、何より大臣が意思決定に強いリーダーシップを発揮している点である。閣議が「ハンコを押す会議」と呼ばれ、事務次官会議が実質的な意思決定を行っていると言われる日本とはまるで対照的だ。

この稿を書きながら私が思い出していたのは、城山三郎著『官僚たちの夏』である。「大臣何するものぞ」と官僚主導で政策を推し進め、政局に終始する政治家たちを蔑視する高度成長期の通産官僚たちの姿は、英国での役人のありかたとはまるで異なる。城山氏が描き出した日本型官僚の思想の根底にあるものは、「時の政権ではなく国民全体の奉仕者たれ」という超然とした考え方であり、「真に天下国家を考えているのは自分たちだけ」という矜持であろう。

しかし、いかに優秀なエリートといえども間違いを犯すことはある。そして政府に失政があったとき有権者が一票を投じることで制裁を下せるのは国会議員たる大臣、もしくは自治体の首長だけであり、役人まで民主的統制が及ぶことはない。黒子に過ぎない役人が上位の意思決定にまで干渉している日本の統治構造は、責任の所在をあいまいにする日本の悪しき慣習そのものではないか。

「国民に忠誠を誓うとは、誰にも忠誠を誓わないことと同義である」と言ったのはルソーだったかと思うが、役人は天下国家を思うあまり、独善的になってはいないか。有権者が選んだ代表を蔑ろにする正当性を、役人は持たない。政治家主導の改革を推し進める過程で、役人に報復があるようなことはもちろん許されないが、民主的代表者を尊重する土壌作りのために個々の政治家ができることは、決して少なくないと思われる。国会議員個人の政策立案能力向上もそのひとつだ。上に立つ人間に才覚があれば、役人も自然と従うようになるだろう。

 


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英国大蔵省から見た日本 (文春新書)

英国大蔵省から見た日本 (文春新書)

 

 

官僚たちの夏 (新潮文庫)

官僚たちの夏 (新潮文庫)

 

 

呵呵大笑

*1:最近はEUの基準に合わせて司法府にもいくらかの変化はある。

*2:与党の院内総務(日本の党幹事長と総務会長を兼ねたような職)も内閣のメンバーとなるため、与党は内閣の強い統制を受ける。

*3:英国では恒久的な税制を採用しておらず、たとえ変更がなくとも毎年度税制に関する法案を提出し議会で採決されなければならない。これは国王の徴税について逐次議会の承認を求めた英国の歴史に由来する。

*4:実は英国の議院内閣制に範を取る日本も同様であり、制度上内閣総理大臣は非常に強力な権限を持つのだが、日本ではそれがあまり理解されておらず、アメリカに倣った首相公選制などの議論が出る始末である。

*5:民主主義への信頼が厚いのは選出方法も関係している。英国の選挙区は非常に細かく分けられ、一選挙区あたりの人口は6万5千人程度である。投票率にもよるが、およそ2万人から3万人の支持を集めれば当選はほぼ間違いない。ゆえに、英国の議員は「小さな池で泳ぐ大きな魚(a big fish in a small pond)」に例えられ、市民にとって親しみやすい存在になっている。

*6:日本では半数未満まで民間人の大臣起用が認められているが、英国の閣内大臣は議員でなければならない。

*7:すべてを閣議で決めるのは非効率なため、種々の政策に関わる閣僚を集めた複数の内閣委員会(Cabinet Committee)を首相が設置し、判断を委ねるケースもある。

*8:英国の官庁街、日本でいうところの霞ヶ関。

*9:アメリカ合衆国大統領はすべての行政権を掌握する独任制の機関であり、各省の長官らは大統領の部下に過ぎないため、日英の内閣の関係性とは根本的に異なる。大統領の重要な意思決定は大統領補佐官などのホワイトハウスの側近が取り仕切っている。

*10:英国の閣僚の数は日本とは比べ物にならないほど多いが、その中でも閣議に出席できるのが閣内大臣である。

*11:日本の副大臣・政務官も名目上は大臣の職掌を分担する。しかしこういった改革は最近のものであり、制度理念にまだ追いつけていないのが現状である。

*12:英国政府のHPを見ると、大臣団の担当の分野が詳細に記述されている。

*13:事前に質問の順番決めがあるため10審議日前が実質的な締切。

*14:首相は月に4回、大臣は月に1回の出席が最低である。本会議(Chamber)や特別委員会(Select Committee)次第でいくらか回数は増えるが、それでも国会に釘付けにされる日本の大臣よりずっと負担は少ない。1回の答弁時間も30分から長くて1時間弱である。