シルバーペーパー

秘密結社「シルバーペーパー」

幸せになんてなりたくない

退屈を持て余して色々と人生について考えてみたが、自分は価値観として、いわゆる世間的な幸福というものを念頭に置いていなくて、そこを自覚した瞬間から少し開き直りが出てきた気がする。まあ人と合わせるのを諦めたということである。

世間的な幸せ、例えば、別に金持ちになりたいかというとそうでもない。車いらないしバイクも乗らないし家も何も別にいらないし、みんなが興味のあるものに大して興味が持てないし、ほしいものは少ないし、まあ普段の生活を振り返ると家賃食費光熱費ぐらいしか減ってない。たまに金があると娯楽品に回すけど、別にそれすら必要なくって、今は図書館あるしネットもあるし時間ならいくらでも潰せて、まあ金は無いよりはあればいいんだけど――貧困はつらいかもしれない――べつに結婚もしたくないし、誰かと懇ろになりたいとか、そういう願望もないし、そもそも幸せだと思うのは、自分で何か思いついた時とか人とだらだら喋ってるときとかそれくらいのもので、まあ都度都度なにか小さなイベントがおこって、そこでそこそこ楽しければ、大して客観的な意味での幸せになんてこだわりがないし、ならなくていい気がしている。そうなると、今がある程度自分にとって快適で幸せだというのを噛みしめることが大事なんだと思う。一番いいのは幸せボタンみたいなのを無限に押し続けるジャンクな生活だがそこの話はあまりにもあれなので割愛する。何が言いたいかというと、世間の価値観とズレていても、自分がたとえ逸脱した存在だとしても、それを認めて、それでも死にたくないのなら、どうしようもない自分を受け入れて進んでいくしかない。

根があまりにも暗いので、というのは幼少期から自覚していたが、人前では出さないけど毎日、体が痛いとか頭がいたいとか辛いとかだるいとか思っているし、何なら死にたいと思う日も多い、けど、別にそういうダウナーな自分も嫌いではないし、常にアッパーな状態でいたら逆に疲弊してすぐ死ぬと思うので、自分はこういう生き物なんだという一種の諦観は既にある。子供の頃はずっと、人に合わせようとして苦労していた。いまは人並みを諦めることによって気持ちが楽になってきた気がする。

とりあえず人間、心が壊れさえしなければたいていの状況で生きていけると思っているので、まあ目下の目標は30歳まで生き伸びたいということくらいかもしれない。そこから先は、そこから考える、とかでいいのか。

まあ、ぶっちゃけていうと、そもそもここでいう「人並み」という言葉も厳密性を欠いていて。

どこまでいっても「人並み」なんて自分の想像でしかないし、自分で自分を正しく認識することは理論的に不可能だという前提を踏まえると、そんな実態のない虚像に自分を合わせる、合わせよう、というのが不可能という結論が出たので、もう他人のやってること、さっぱり当てにならないし、自分の直観と身体感覚に委ねるしかないみたいなことを漠然と考えて――いや、正直まだ結論が見えない。他人をロールモデルにした生き方のほうが楽なのかもしれない。「生き伸びたい」というだけではあまりにも志、低すぎるだろうか。わからない。

面白いのは、自分は人については基本的にマイナス思考だが自分の将来についてはかなり楽観的で、というのも世界は本質的に不確定だと思っているので、個人が将来を予想したりするのは全部無意味だと思っているし、だから他人の言うこともあんまり聞かない。まあサイコロ降ってる感じが永遠に続いているという漠然としたイメージで今は生きているし、世界自体がそういう感じの規則性に従う限りは割と楽しんで生きられていくと思う。