シルバーペーパー

秘密結社「シルバーペーパー」

最も有意義な時間の使い方

部屋の小さな置き時計が壊れた。

自分の所有する時計機能を持つ機械は、腕時計と、iPhoneと、その壊れた置き時計しかないが、特に不便していなかった。置き時計はほぼ使っていなくて、アラームより先に起きた際、iPhoneを探すより先に時間がわかるというくらいだった(≒より少ない動きで二度寝が可能≒覚醒度合いが低いまま速やかな二度寝が可能)。

どうでも良くてどうでも良くないことだが、自分は4月から社会人になっている。その前は某所の某精神病患者ばかり集まるシェアハウスで部屋に時計の無い生活をしていた。

その時、最も有意義な時間の使い方について考えていた。目の前に有限で無限な時間があったから。

多くの人間は自由な時間(=余暇)を欲しがる。なんでもできるような気がするし、非常にストレスフリーなように感じる。しかし実際のところ、それを何に使うかは個人によって全く異なる。

時間は金に変換できる。労働である。アルバイトなどで時給制の単純作業をしているとまさにその感覚が強い。逆に金で時間もある程度買える。交通費だとか、外食だとかはわかりやすいし、そもそもゲーセンでコインを入れるのだってゲームをする時間と場所を買っている。

で、結局(自分の力で生活しながら)"余暇を増やす"ことを最大限突き詰めると、学歴パワーを上げて良い会社に入るとかそういう感じになる。とにかく、"金を稼ぐために効率的に時間を使う"ことになる。

結局なんなんだお前らはという話で、同じ行動指針の上に目的と手段としてそれぞれ存在しているはずの"余暇"と"効率的に時間を使う"という2つは正反対だ。矛盾がある。

つまり、「時間が空いたので有意義に使おう!(Facebook風)」みたいに鼻息荒く意気込むのは最悪ということになる。最も贅沢で有意義な時間の使い方は、効率について一切考えず、効率的に金を稼ぐことはもちろん、効率的に遊ぶということも考えないことだという結論になった。

(これだけだとニートやそれに準ずる大学生が喜ぶだけなので、敢えて釘を刺しておくと、働いて金を得て働いた分の時間以上の余暇を生み出せるなら、働く意味は普通にある。今書いたのはそうして生み出した余暇の使い方についてであって、生まれた瞬間から存在する寿命の使い方ではない。)

社会人的には時計を買ったほうが良いという事実と、自分の"時間"に対する熟考から導かれた論理上の結論が、異なっている。そして思考の結果導かれた結論と、自分の感覚(常識に引っ張られている部分)的な判断も異なる。

要するに、時計を買うほうが少し優勢だ。