父性の欠落
前から思っていて、友達には何回か話している仮説なんだけど、今回は「父性の欠落」について自分が思っていることを書く。カテゴリ的には発達心理学的な領域になる。
幼い頃から父親が不在――不在というのは文字通りの「不在」もしくは機能不全を指す――という環境で育った人間は、思春期以降に父性が欠落した存在になる。
この父性が欠落した人間は、主に以下に挙げるようなことが出来なくなる。
1.アイドルアニメのような、父性を刺激するものを楽しむこと。
単純に言って、「何が面白いのか分からない」というレベルまで達することが多い。
同じ作画監督の、同じ原画の、同じ脚本家の別のアニメはいくらでも楽しめるのに、「アイドル物」だけはダメ、みたいなことが起こりうる。
2.スポーツを観戦すること。
日本中が熱狂しているようなサッカーの国際試合や、プロ野球の中継を見ても「何が面白いのか分からない」。
格闘ゲームやFPSを、自分がプレイする分には楽しむことができても、プロの世界大会の中継を見ても楽しむことができない。
3.創造的な活動をすること。或いは、0を1にするような作業をすること。
これは、例示が難しいが、概ね、理系的な作業ができても、文系的な作業ができない、と言い換えることができる。
例えば、プログラムを書くことができても、絵を描くことができないなど。真剣に考えればもっと例はあるはずだが、一番身近な例を挙げた。
自分は、これらの「不能」は、全て父性の欠落によるものだという仮説を立てている。 理由付けとしては、1番は自明なので置いておくとして、2番は肉体的なストレングスを発揮する存在がいなかったことによる、それへの無感動による。3番は少々難しいが、抗議不可能な超越的な存在の不在による想像力の発達不全によるものだと考えている。
よくわからないが、そういう仮説である。