或銀紙の一日-前編-
「――人格を無限に増やしていくぞ」
掛け布団の重さが弛緩した筋肉を圧迫する。目が覚めてからまだ少しも動いてはいない。
思考だけが渦を巻くようにして動き続けているが、頭だけ肥大化していくように重くなっていく。
――然しながら。
此処のところTwitterなるものをしているせいか、"銀紙"が私の頭や心を喰い始めている様に思う。
私は銀紙であるが銀紙ではない――本質は私だ。
「銀紙の出現率が高くなったせいでここ最近世界の均衡が崩れてるってことは把握していたよ」
睨みつけていた壁や天井が無造作に波打った。そう思った。
本質は私だ。
「変わらねばならない」
いつの間にか口に出してそう言っていた。いや、頭の中でそういったのかもしれない。
学生起業家として成功して何者にも指図されずに生きるという日々の妄想。
――だとしても。
変わるのだと強く唱えながら目を閉じる。私は朝に目覚めて朝に眠りにつくのだ。
「大學へは行きたくない。」
授業は朝一番からあった。どれもこれもつまらぬ。
他人が憎い。
私は他人にはなれないが、他人は私になることができる。目を瞑って動かぬまま在った。
「定期を買わねばならない」
目が覚めてから初めて寝返りをうった。
布団の重さが――ベットが軋む音が――私を阻害しているようだ。
この世界が私を阻害しているのだ。
――負けるものか。
布団を跳ね除けて起き上がった。この部屋に空調はない。だから朝は寒い。
足元に散らばった紙類を蹴飛ばしたら転びそうになる。
他人が憎い。
身体に鞭を打って床で丸まっている服を着る。カーテンを引いたら朝陽が眩しい。
「大學に行こう。」
――そう、憎むべき大學にだ。
朝食をとり冬に相応しい格好をして駅まで歩く間、ひたすら思考の渦巻きがゆらゆらと揺れ続ける。
――彼らは如何して此のように楽しそうであるのか。
理解らない。
道を歩く女子高校生が路傍の猫の死体を見て叫び声を上げている。
気づかないことが幸せなのだろう。
――目を瞑ろう。
私は、猫は好きだ。
駅に着いた。
Twitterの通知音が聞こえたので画面を覗いた。
「――テニサー?」
「せや、テニサーでぼっちなんや」
知っていたが私は敢えて聞き返す。正確には画面の中で文字を入力しているだけだ。
私は声を出して喋りはしない。
――巫山戯るな。
私は此の忌々しい大學に入って何かの団体に属したことなど一度もない。
実際にはあったこともないテニサーの後輩に向かって現実で悪態をつくのだ。
緑の窓口は思いの外空いていたが、気をせった自分自身に腹が立った。
何時だって世界が阻害するからこんなことになるんだ。
――そうに違いない。
それにしても、みどりの窓口というのは池沼が多い。
おかしな恰好をしたオタク、やたら声のでかいクレーマー。
どれもこれも私が砕いてやりたい。
「俺の邪魔をする奴は殺してもいいってのは憲法にもちゃんと書かれてるんだよな」
「え?」
駅員が聞き返してきたので急いで定期と学生証を突きつけてそのまま石になった。
然し――然し、聞かれていたのか?
私は声に出したつもりはなかった。
急にあの駅員が憎くなった。定期の更新が終わるとひったくって後ろは振り向かなかった。
呵呵と笑っているに違いない。
――そうだ。
何時だってそうなのだ。
電車が地下に潜って少しして、同じ車両の中に知人が居ることを認めた。
「さとうだ」
私は決して声を掛けたりはしない。
さとうはスマートフォンをいやらしく擦り上げながら笑っている。
それにしてもこの男、厭に恰好がいい――今風で小奇麗な恰好をしている。
顔立ちもはっきりしていて目立ちこそはしないが、言い寄る女も少なくなかろう。
私は――私は、一体なんだというのだ。
そこで私はふと、眉太でいつも奇っ怪な蛍光緑色のリュックを背負った男に思い当たる。
くくくと喉を鳴らして笑った。
――というのも、奴は最近同性愛者に言い寄られているというのだ。
いい気味だ。蛍光緑のリュックなどを背負うからそんなものまで背負ってしまうのだ。
私のように黒いリュック――そう、"黒い"リュック――で身を守ればよい。
部屋の様子を頭に思い描く。
そういえば、黒いリュックに黒い鞄しかもっていなかった。
まあいい。
教室に入ると、挨拶をし合う大學生たちが居た。
私は物言わぬ石となり、席に着く。
誰も彼もが能無しでろくでなしに見えてくる。
――学生起業家だ。
本屋に檸檬を置くよりも、きっと、面白いぞ。
私は起業するんだ――学生起業家だ。
剥げて爬虫類のような鼻をした教授が何やら紙類をひらひらと掲げて居る。
妙に教室がざわめいた。どうやら前回使われていたプリントが必要らしい。
黒いリュックを漁ったがそれらしきものはない。
――違う。
そんなわけがない。
それどころか、筆箱がないことにも気がつく。
焦りながらリュックの中をかき回した。
だがそれは首に縄をつけられて首を絞められ、居もしない最後の魚一匹まで絞り出される滑稽な鵜と同じことだ。
何しろリュックの中には何もないのだ。
不意に、朝起きて蹴り飛ばした紙類を思い出した。
――世界に阻害されているのだ。
笑い声が聞こえる。ざわめきが大きくなっていく。
――学生起業家だ。
繰り返しつぶやく――繰り返し。
そして私は、私から少しづつ離れていった。
気が付くと昼であった。
教室には誰もいない。
他人が――憎い。
――この小説はフィクションであり、実在の名誉幹事長とは何の関わりもない。
竜崎大