シルバーペーパー

秘密結社「シルバーペーパー」

性的な、あまりに性的な!!!

 ――新宿。多くの人々が行き交うこの地に来たのは、ある目的のため、我々が信じて疑わないこの現実を、容易に破壊してしまうような企み――つまり、世界の終末、あるいは人間の死――のためである。信号が変わるまでの時間が、いつもよりも長く感じる。切り刻まれた時間と、時間の硲に、さらに時間が流れこんでくるような、そんな気分になる。

緑色の発光ダイオードに信号が送られ、人びとが歩き出す。私も、それに従い群れを成す一つの透明な個になる。今度は乾いた冬の空気を水が満たすような、抵抗を感じながら、無限とも思える横断歩道を渡り切る。その先に待ち受ける雑居ビル。狭い入り口の奥に、小さな扉のエレベーターがあり、そこに列をなすカラスのように黒い群れ(あるいは、オタクだ)。死体に群がるカラスの不吉な想像をしながら、私はその列に加わる。エレベーターに身体を押し込め、重力を噛みしめると、6階で止まった。私は狭い店内のなかを慣れた足取りで進み、そしてこの"企み"を手にする。

そう、2014年11月28日、 胃之上奇嘉郎先生の待望の新刊『奉仕委員のおしごと』がついに発売されたのだ!!!!

いや~、ホンマ幸せですは僕は。どんどん好きな作家さんの作品が単行本化されてこれ以上嬉しい事はないという感じ。生まれた時から待ってましたよ胃之上奇嘉郎先生!!!!嬉しさのあまり、買ってすぐ家に帰りそのままシコって今はさながら春――生命の息吹が吹き荒れるあの春!!!――が始まったように清々しい気分だ。生き返った、といったほうがいいかもしれない。さて、あまりに前置きが長くなりすぎたが、まずはワニマガジンの紹介文から見ていこう。

首とアソコを長くして待ち続けた胃之上奇嘉郎12年ぶりの熱願短編集です。 優等生がおバカになるまでお仕置きされちゃう「せんせいわかりません!」やうら若き女生徒たちが肢体に汗して奉仕活動に励む「おしごとシリーズ」ほか、五臓六腑も色めきたつ貝吹くオペレーション226ページ。 夜のおしごとにも精が出る1冊です。

>首とアソコを長くして まさに私のことである。ただ、今回は頭の悪さが抑えめな紹介文であり、少し残念である。ともかく、次に収録作品を見ていこう。

さて、胃之上奇嘉郎先生が成人向け作品を出すのは12年ぶりということだが、やはり漫画家としての(当然エロ漫画家としての)重みというか、迫力というか、そういうものを感じる作品になっていると言える。私は今回収録されている作品以前のものは見たことがないが、表紙を見る限り、以前からその絵のうまさは際立っていたのだろうと思われる。そして、女の子の可愛さというものも、彼の持っている歴史、圧倒的な個性を感じさせるのだ。

やはり、必要なのは可愛さ

 胃之上奇嘉郎先生の褒め称えるべき点のひとつめは、女の子の可愛さだろう。裏表紙を見てもらえばわかるが、女の子がみんな個性的で、そして可愛い。長髪・メガネ・ふくよか、長髪・三白眼・そばかす・スレンダー、長髪・ジト目・チアガール、ショート・スク水・褐色・靴下・上履き。軽く上げただけでもそれぞれがきっちりと明確な個をもち、なおかつ可愛い。属性にひっぱられるわけではなく、どこかにいるかのような、女の子の可愛さがある。

  それに加えて、女の子たちの表情の豊かさ。恥じらい、照れ、憂鬱、退屈、絶望、悲しみ、驚愕、絶頂、狂気、崩壊……熟練の漫画家らしく、人間の様をよく観察しているという印象を受ける。それでいて、可愛いだけでなく、ハメ倒されてぐちゃぐちゃにされた、ブサイクなイキ面を忘れないところも、流石と言った感じだ。(そういう表情はめちゃくちゃシコれる)

 関係ない話だが、一時期売り切れだらけだった『NEW GAME! 』がとらのあなで未だに積まれているのを見て、可愛さの持つ力の強さをしみじみと感じた。そしてエロ漫画こそまさに「絵」が最も重視されるということを実感する。

だらしないおっぱいも、ちっぱい

 上で述べたように、胃之上奇嘉郎先生は様々に女の子をかき分けている。ここでは更に踏み込んで、おっぱいに注目していこうと思う。

 私の見る限り、先生の好きなおっぱい(体型)は大きく分けてふたつあるのではないかと思う。ひとつめは、ほとんどデブにも近い体型を持った女の子についている脂肪の膨れ上がったはちきれんばかり、重量感満載のおっぱいである。さらに、このおっぱいは、多くの場合は乳輪がデカイ!そして乳首が埋没している。このおっぱいは、女の子の身体にのしかかり、流体的に歪む。直立しているときは、(おそらく多くが)下垂型であり、重力につられて下に凸な曲線を描く。横から見ると角笛のように見える。個人的なことを言わせてもらえば、おっぱいは下垂型が一番美しい(だって釣鐘型はミサイルみたいだもの)。ではなぜ下垂型なのか。これは女の子たちがまず間違いなくだらしがない体型をしていることと通じているだろう。つまり、彼女たちの身体には筋肉はあまりなく、多くが脂肪で形成されているということだ。そして、その肉体は手をあてがえば沈み込み、肉棒を突きつければ飲み込んでいくのだ。

ふたつめのおっぱいは、スレンダーな体型に張り付くように薄いちいさいおっぱいだ(ちっぱいという言葉を借りよう)。これは、エロ漫画にありがちなスレンダー×巨乳というありがちな不条理を打ち砕くおっぱいだ。そして、彫刻のように無駄のない身体の彼女たちについているおっぱいにも、乳首はあり、乳輪もあり、ぺろぺろしてほしそうだ。ああいうおっぱいこそ、現代に求められているのだろうと信じている。市場経済主義的物量主義(巨乳)に殺された日本に、侘び寂び、もののあはれを語った日本が本来持っているはずの伝統が囁くのだ!ちっぱいをぺろぺろしろ!と。

垂れる精液、広がる性器

 次の胃之上奇嘉郎先生の特徴としては、性器に対するこだわりだろう。まず、ま○こがリアルだ。横に広げられた膣口の歪み、挿入されたときに膣道が陰茎の形に変わった様子を正面からとらえた様子(陰茎が透けているため見えるわけで、これは現実には見ることが出来ない)、断面図における陰核、陰唇を描き忘れない心。そういったこだわりがある。更に言えば、巨根を受けたあとにだらしがなく広がり何か物言いたげにパクパクと動きながら精液を垂らす膣、まさにエロ漫画にのみ描ける私達が求めた超越的現実だ。そこからあふれる精液の質量感、濃密さ、これが私達のリビドーだ。

日常を捉えるエロス

 一気呵成に書いていたら(シコったためか)疲れてきたので最後に言及すべきことは簡潔に書いていこう。ズバリ、先生の作品の多く(特におしごとシリーズなど)は女の子が「当然」のようにセックスする「日常的な」必然を設定するというところに特徴があると思う。確かに、少女たちが「必然」に翻弄されてセックスするのはエロ漫画でもエロゲーでもよくあるパターンだ。しかし、先生の作品においては、「日常」「日常」であるための仕掛けが多くなされている。まるで突飛な設定が、少女たちの自然すぎる反応によって、現実へとなじまされてしまう。そして、その「非日常」的な日常世界においても、性行為という人類普遍な営みは、なおも現実に即しているところが、漫画としての面白みを生み出していると思う。そして、まるで彼女たちの日常を覗き見ているかの感覚は、我々の(下半身の)本能に訴えかけるのだろう。

性的な、あまりに性的な!

 駆け足で書いた割に分量が大変なことになったが、兎に角、胃之上奇嘉郎先生の単行本は最高にシコれるので、是非読んでいただきたい。これは、シコってひと通り読んだら、またシコリたくなるような本だ。すでに雑誌掲載時にも散々搾り取られた私でも、嬉々としてシコってしまうようなものなのだから、その魅力というものはとてつもないものだと言えるだろう。このあまりに性的な単行本を買えて、幸せだ。

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