シルバーペーパー

秘密結社「シルバーペーパー」

劇場版アイドルマスターの教育的教訓

「未来は今の延長だ。だからこそ、今を大切に。悔いのないように。」

言わずと知れた(?)劇場版アイドルマスター765プロダクションプロデューサーの名台詞である。

僕はこれを本当に良い台詞だと思う。未来は今の延長なのである。今の積み重ねで未来は構成される。

しかし、日本人の多くがそうは考えていないように感じる。おそらく原因は受験と就活によるシステム化された進路選択。プロデューサーの名台詞の反対にある考え方は、「今を犠牲にしてより良い未来を掴み取る」という考え方。大抵の学生はこの考え方を少なくとも知っていると思う。今もそう考えている学生も、いや学生に限らず、多いのだと思う。

輝かしい未来はいつやってくるのだろうか。勉強して、高校に入る。勉強して、大学に入る。または、スポーツに打ち込み、スポーツ推薦で大学に入る。自由度の高い大学生活は、それ自体がある程度の「輝かしい未来」でもある。しかし、制限時間が存在し、大抵の場合は4年後、就職することになる。新卒採用の就活も大学受験も、受ける側に明確ななりたいものが無い限り、本質的には変わらない。曖昧で抽象的な「輝かしい未来」を目指して、今を犠牲に努力する。

今を犠牲に努力する。これは一般的には美談とされる。進路選択に際して、周囲の人間の多くはこれを奨励する。当人の価値観も、今を犠牲に努力することを素晴らしいと思っていれば、苦であっても乗り越えるだろう。それを"やりがい"と勘違いして越える。さあ、輝かしい未来を手に入れよう。

一般的に良いとされる大企業に就職する。最後に何が残るのだろうか。僕の同世代の多くが、苦労した3年間と、苦労した4年間と、数十年苦労する未来があるだけと感じているように思う。

…輝かしい未来はどこに行ったのか。今を犠牲にしてまで、いろいろなものを我慢して目指した輝かしい未来はどこに。

ここでプロデューサーの名台詞をもう一度。

「未来は今の延長だ。だからこそ、今を大切に。悔いのないように。」

未来は今の延長である。何かを我慢して、やりたいことを押さえつけて進んだ先には、やりたいことを押さえつける未来しか無い。

やりたいことだけやって刹那的に生きることが正しいと言いたいかと言われると、そういうわけではない。夢を見ることも、夢を追うことも、僕は良いことだと思う。しかし、それによって輝くのは未来ではなく、今なのだと思う。未来を輝かせるために今を生きるのではなく、今を大切に生きた結果として未来が輝くべきである。

というのに自分は徐々に気がついて、去年辺りにはっきりわかってきた。遅すぎた。多分親がわかってなかったのが最悪だった。僕の両親は典型的な「今を犠牲にしてより良い未来を掴み取る」論者だ。僕の家庭は収入にそこそこ恵まれている。バブル世代の成功者なのだと思う。その経験があれば、その考え方になるのも仕方ないと思うので、人格そのものを否定するつもりはないが、押し付けられたものは正直苦しかった。小学校高学年から大学3年辺りまで、今を捨て続けた。初めは捨てさせられた。そのうち、自分から好んで捨てた。特に中学から高校まで、僕は周囲の誰よりも「今を犠牲にしてより良い未来を掴み取る」論者だった。

その後(気がついた後)、僕はスポーツ分野での責任者、教育実習、この辺りを経験し、今を犠牲にする考え方が如何に一般的な美徳とされているか知る。最悪だった。注意して欲しいのは、周りの教育者がその考え方なのが辛いのではないということだ。自分に対してその考え方を強要されても、もう慣れている。我慢して努力するのは、もはや大して辛くない。しかし、僕が教え導く側に立ったとき、残された時間の多い後輩が、生徒が、自ら、「(今を犠牲にして)頑張ります!」というのだ、バッドエンドが回避出来ない、死ぬしかない、完全に、最悪だ、もう殺すしかない。コミュニケーションに長けておらず、人望の無い自分の声は届かない。今を大切にして欲しい。何故なら夢は叶わない。100%の完璧な姿で夢を掴むことはほぼ無い。現実はアニメとは違う。厳しい。ハッピーエンドは来ない。目標は達成されない。それでも、大切にした今を積み上げていれば、未来で得るものは夢そのものよりも大きい。

結局、自分は人間と会話しても殆ど何も伝わらないと思うことばかりで(詳細は長くなるので割愛、書きたくなったら次回書く)、もう人間とコミュニケーションしたくない。疲れた。誰もバッドエンドから救えない。高槻やよい星井美希四条貴音萩原雪歩以外と話したくない。