シルバーペーパー

秘密結社「シルバーペーパー」

写真を通して思い出に栞を挟む

私は、よく写真をとるほうだと思う。

気取らずに、ただ当たり前の日常を切り取っておくための写真。

一時期思い付きから面白いことをやっていて、それはスマホのロックを解除するたびに自動でインカメを作動させる、というものだったのだけど、つまり、端的に言えば、自撮りが勝手に蓄積されるのである。なんでそんな酔狂なことをやろうとしたのかは忘れた。

これの何が面白いって、酔っぱらったときに撮った自画像が傑作で、自分の間抜け面っぷりに驚かされたのだった。いろんな人にぜひやってみてほしい。そしてぜひとも私と同じ絶望感を味わってほしい。少しにやけ面でネットにアクセスしようとしている自分の顔、焦点の合わない眠そうな顔がかなり笑える。だんだんカメラロールが自分のアホ面で埋まってきて恥ずかしくなったのでやめてしまった。

さて、写真を撮るメリットがあると感じるのは、やはりあとから見返すときだ。フィルムの時代はこうはいかなかった。デジタルになってからも、30万画素もないお粗末なデジカメしか持っていなかった時代の私にとって写真は遠い存在だった。今は違う。スマートフォンで、いつでも、どこでも、十分な写真が撮れる。そして何よりも重要なのは、それを「常に」持ち歩くことができることだ。

私は、その場その場で起こった物事を記憶できない。時間に対する認知がおそらく標準の人に比べてゆがんでいるため、1週間前に起こったことと1か月前に起こったことの違いが判別できないこともよくある。

そういう人にこそ、スマートフォンは役に立つ。いつでも写真を見返して、思い出に浸ったり、人と話す話題を作ることができる。あのとき自分が何をしたかを思い出させてくれる。そして、なによりも、私たちは経験を忘れていたわけではなく、ただそこへ辿り着くための索引がなかったのだとわからせてくれる。去年の今頃私が何をしていたかを、私は写真を通して忘れずに覚えておける。

日常に溶け込み、当たり前の生活インフラになった写真。芸術作品ではなく、記憶への索引としての写真。そういう考え方がライフログの名で取り上げられて再び脚光を浴びつつある。そんなライフログとしてのツールのなかで、スマートフォンは最高到達点だと思う。

写真、連射して撮るのだが、一番いい一枚以外をすぐその場で消してしまわないと、いつまでも居座ってしまう。そうなると今度は肝心な時に見返すのに時間がかかりよくない。すぐ削除するのがいいのだと思う。テキストファイルみたいに気軽に検索できればいいのだが、そういうシステムが個人レベルで実用的に使えるようになるとはまだ思えないし、日付や場所というメタデータだけではどうも弱い。

Googleを始めとした画像保存サービスは個人の顔を認識して自動的にタグ付けする顔認識機能を追加している。しかし別に知りたいのは顔の情報ではない気がする。すべてを残しつつ、綺麗に情報を整理する方法がほしい。手ブレ写真が勝手に消えるような仕組みのほうがよほど嬉しい。

ここら辺の話はNarrativeなどのウェアラブルデバイスの普及にも近い話かもしれない。

クリップ型のカメラ。さすがにこれつけて歩いてる人いたらちょっと不審だなという気もする。あと、目の前の視界そのままではないというのが悲しい。まあ、巷ではGoogle Glassは失敗だったとか言われてるし、完全な快適ライフログ生活はまだ実現しなさそうだ。個人的には頭の後ろでドローンを飛ばしておきたい。そのうち、写真ではなくビデオがその役割を担うようになるのだろう。