シルバーペーパー

秘密結社「シルバーペーパー」

動くことと地図

適度に早寝早起きの習慣をつけようとしているので、休日でも普段と変わらず午前中に起きてあちこち動き回れるようになってきたのだが、周りにいるのが夜型の人間ばかりのために気軽に人を誘って遊びに行こうと思っても午後三時すぎまで返事が帰ってこないみたいなのもしばしばで、だからフットワークの軽さみたいなところを追求しようとすると、最大公約数的なところで飲み会になってしまうというのはどうしても仕方のないことなのかもしれない。しかしこのままではせっかくの早起き習慣が台無しだ。


朝起きて人と遊べないとなれば一人で時間を潰す方法が必要になる。インドア趣味に関しては本当に一通りやりつくしたという感があるし、部屋に一人でこもっていると閉塞感がすごいので、カメラを持って積極的に遠出することを考えている。

とりあえず、単純に移動という行為自体に対して考えるとき、一般的に考えられる障壁としては交通費と場所を考える手間、心理的障壁という意味だと目的意識と時間に対して得られる対価だろうか。後半は撮影という行為で穴埋めできるとして、実際問題出かける前にPASMOのチャージがないと萎えるのはひとつ、あとは場所をどこにするか、というのが一番大きいが、国内の観光名所を意外と知らないことに最近気付かされている。意外とどころではなく全くと言っていいほど知らない。新宿渋谷京都ぐらいしかうかばない極端な地理感覚しかない。遠出は金がかかるし面倒くさいし、というわけで、東京近郊の観光マップみたいなものを買うことにした。

それにしても、自分の地理的感覚のなさには最近つくづく驚かされている。基本的に自分の生活圏にしか全く興味がわかなかったので、地図を読むということを殆どしたことがなかった。街を歩くときの方向感覚や土地勘は人と同じか優れているくらいだが、一般常識的な地理に関しては感覚がないどころか本当にひどくて、子供の頃にやった白地図を埋めるテストでは再試も本試も0点続きだったし、どうにも自分は実生活に役に立たないものはすぐ忘れてしまうところがある。

しかしながらこの頃は人に誘われてちょくちょく観光旅行をすることがあり、そうしてやっと気づくことができたのだが、ある程度地理を知らないと人間は大して遠出を出来るものではないらしい。人は全く知らない土地においては、思い描いているほど自由にふらふらとは出かけられない。土地があるからといって移動可能なわけではない。

山脈を超え、海を渡り、一度も見聞きもしない知らない土地を渡るために、人々は多くの智慧を織り込んで道を作り、そこに標として地図を作った。地図という媒体があるからこそ私たちは広大な世界を移動することが可能なわけで、そう考えてみると地図というものが私たちにもたらしている恩恵というのは想像以上に大きいのかもしれない。

地図を持たない人間は、見知らぬ土地にあってはかごの中の小鳥のように無力だ。最近はそんなことを考えている。



はのん