狂瀾怒濤の世界の叫も、この一瞬を犯しがたい
2年半前、梅酒を造った。
死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱んで光を葆み、
いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒濤の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。
『梅酒』 ――高村光太郎
俺にとっては、まだ青春の味がする。十年の重みを感じるのは、何十年後だろうか。
以下、これを飲みながら、どうでもいい化学的な話をだらだらと。
この梅酒、どうも赤ワインのようなタンニンくささがあるなと思ったら、どうやら梅にはリオニレシノールというポリフェノール(広義のタンニン)が含まれており、そのせいで粘膜の収れん作用が引き起こされる結果、渋みを感じるという仕組みらしい。
もともと、梅酒の果実は1年で取り出すのが主流のようだが、1年目で飲んだ時に「甘すぎる」と感じたので、2年半にあたる現在まで放置した結果調度良い感じになったので、結果的に正解だったようだ。
先程、果実を全部取り出した。
梅酒は果実も旨い。