シルバーペーパー

秘密結社「シルバーペーパー」

オタクの居場所は失われたか

秋葉原が、相対的に価値を見出しにくい空間になってきたのは確かだ。大半の情報はWebで手に入る昨今、「ここでしかできない」「ここにしかない」という土地のプレミア感は明らかにかつてより減少している。 オタク*1をやりたいだけなら場所を選ばない時代になった。わざわざ秋葉原なんて僻地に行かなくても自宅で十分アニメは見れるし、SNSへ行けば同好の人間なんて腐るほどいる。家が嫌なら外に出ればいい。ノートパソコンとWifi環境さえあればどこでも路上でやりたい放題だ。田舎なら人の目が気になるかもしれないが、それは別の話である。少なくとも23区では公園に座ってパソコンをいじる若者くらいどこにでも存在している。

秋葉原に空間としての価値がなくなったわけではなく、単純に物理空間に価値を見出しにくい時代――ことオタクを営むにあっては――になっただけではないか。

バスケットコートが消え、ヨドバシが立ち、ラジオ会館は壊され、町にメイドがあふれて、なお、しかし依然として秋葉原はユニークな街ではあると思う。少なくとも唯一無二の存在として我々の前に姿を曝け出している。問題の本質は没場所性placelessnessではない。秋葉原自体の問題ではなく、純粋に「場所」自体が必要とされなくなった、ただそれだけ。

『コアでマニアック』な人々は物理空間に宿るわけではない。ただコミュニティに宿るのである。

*1:元記事では「おたく」と「オタク」を異なる存在として扱っているが、本稿では二者を区別せずオタクに統一する