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秘密結社「シルバーペーパー」

『雨に唄えば(’52 アメリカ)』

 『雨に唄えば』はアメリカのポピュラーソングを主題歌としたミュージカル映画で、傑作として知られている。あまりにも傑作中の傑作で今更と言った感じではあるが、とても面白かったのでレビューをしていきたいと思う。


Gene Kelly - Singin' in the Rain Lyrics/和訳「雨に唄えば ...

 

  そもそも、この映画、またこの唄を知ったきっかけは、劇場版「空の境界」の第二章『殺人考察(前)』や第四章『伽藍の洞』において黒桐幹也(フランスの詩人みたいな名前だ)が口ずさんだり、劇場版「空の境界 未来福音」においてはラストシーンで両儀式が楽しげに鼻歌を唄ったところにある。最初に聞いた時からこのメロディが脳裏に焼き付いて離れなかったわけだが、それは黒桐幹也を演じた鈴村健一の唄があまりにも下手くそだったためでもある。あと、劇場版の両儀式さんはめちゃくちゃ可愛かったし最高といった感じだった。

 

 次にこの曲に出会ったのはスタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』であり、主人公のアレックスがこの『雨に唄えば』唄いながら、郊外に住む親切な作家の家でその妻を輪姦したり暴力におよぶシーンである。実に衝撃的であったが、これはアレックス役のマルコム・マクダウェルがとっさに歌える曲がこれしかなかったという理由で、深い意味はないらしい。

 

 「空の境界」を読み解く上では、このアレックス的な残虐で暴力的なイメージを『雨に唄えば』に与えているという見方もあるようだが、それについてはここでは考えないことにする。

 

 さて、話を『雨に唄えば』本編に戻すとする。大きなあらすじは、サイレント映画が主流であった時代のハリウッドに、突如としてトーキー映画の波が押し寄せる。しかし主人公たちの映画会社にはトーキー映画を制作するノウハウがなく、ひどい出来の映画を試写会で上映してひどい目にあう。そこで映画をミュージカルに作り変えるのだが、ヒロインを演じるリナは演技も下手、唄も下手、声も汚い、と三拍子揃っており、主人公ドンと恋仲になり女優として花開くことを夢みていたキャシーが声をあてることになる・・・といった感じだ。

 全体としてコメディ調であり、主人公ドンの親友のコズモがひとりで喜劇について唄うシーンは腹を抱えて笑えるところだ。しかもそれがバックス・バニーやトムとジェリーのような陽気でハチャメチャでそれでいて皮肉っぽい面白さなのである。ここにアメリカにおける”ユーモア”というものが見えたような気がする。

 そもそも、主人公はスターになるまでもともと乞食のような生活をしていて、自分の力でなりあがったいかにもアメリカンドリームといった設定で、メインヒロインであるキャシーもシェイクスピアを演じる舞台女優を夢見ながらも実際はしがないダンサー(しかも煽情的な格好をしていた)からドンに見初められてスターへの道を開く。最後は愛しあったふたりが性格の悪いリナを追放してロマンチックにハッピーエンド、となるのだ。

 この映画はクラシックと言われるが、色褪せない面白さ、それも実にわかりやすいアメリカ的な良さがあると思う。一度は見る価値がある。

 

 ひとつ言えるのは、小説やマンガやアニメや映画の元ネタを自分の目で見る、というのは何ともいえない感動というか快感があるということだ。ジャン・コクトーの詩集を買ったのも空の境界を見たからであり、J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んだのも攻殻機動隊を見たからであった。『半分の月がのぼる空』を読んで芥川龍之介の『蜜柑』を読み、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々 灰色のノート』を読んだ。私はそういう楽しみが、やめられないのだ。

 

竜崎大