チョコレート・フリーク・デイズ
ぼくはその昔、異常なまで毎日チョコレートばかり食べていました。
それはそれは毎日食べていたので、よくママンに怒られていました。
「そんなに食べたら体に悪いでしょ」
だけれど、ママンはいつもチョコレートを買いだめしてくれていました。よくわからん。
よくわからんことはそこら中に落ちています。例えば、ぼくはその当時、サッカーをしていまして、サッカーの練習は嫌で嫌で仕方がなかったのですが、他の人はみんな楽しそうに練習をし、さらには練習以外の時間もサッカーをしている始末でした。周りにいるのはよくわからん生き物でした。
もしかして周りと自分とは何かが違うんだろうか。
そう思いながらまたチョコレートを食べました。
それでも、チョコレートの甘さを感じると、丹田のあたりからゾワゾワっとうれしい気持ちが昇って来るのです。たぶん、これが幸せってことなんだろう。よくわからんけど。
チョコレートの原料のカカオは、パッと見どうやって食べるかよくわからんやつです。だからその昔、白人に指示されて作っていた現地の農民たちは「何でこんな物を作るんだろう」と思っていたそうです。それに対して白人たちは「こいつらは何も知らないんだな馬鹿め」と思っていたのだと思います。ひどいね。
毎日が退屈で、苦痛で、ひたすらチョコレートを食べていました。パクパク、モリモリ、チョコレートが無くなったら家の何処かに潜んでいるはずの、まだ見ぬチョコレートを探しました。ゾンビみたいな目をして。頭がぼーっとして、躍起になります。
よくわからないことはフラストレーションです。例えば、自分が誰かとか。どうして生きているとか、何をすればいいのかとか。でも、答えがわからないから、昔のぼくはフラストレーションの数だけチョコレートを食べていたんだと思います。自分の周りの全てがよくわからないから。
そんなことを、今になって考えてみます。
ぼくはいつの間にかオトナになりました。成人、二十歳、非未成年。
でも、相変わらずよくわからないことばかりです。20年間も生きているのに、どうして生きているのか、何のために生きているかすらもよくわかりません。ただ、そういうことを尋ねる機会はありません。
「ぼくたち、何で生きてるんだろうね?」
「さあ、知らない」
目の前のスピーカーの上に居る逢坂大河さんのフィギュアが興味なさそうに答えます。
ぼくはオトナになっても、何もわかりません。
今、ぼくはチョコレートを食べています。パクパク、モリモリ。そんで、丹田のあたりから湧き上がってくる幸せで体を充実させます。
「幸せー。」と声に出して、それから、まだ食べていないチョコレートを一粒、眺めて見ます。もしかして、これは幸せの塊なんじゃないのかね。
もしかしてぼくは、幸せが欲しかったのかな。
そんなことを考えて、またチョコレートを食べます。
幸せ欠乏症。たぶん、そんな感じ。
チョコレート・フリーク・デイズ。