シルバーペーパー

秘密結社「シルバーペーパー」

非効率の大量投資

新しく物事を勉強するその前に知っておくべきこと http://silverpaper.hatenablog.com/entry/2014/10/28/230000

当ブログのはのん氏による上の記事にも関連して最近思うことを。(新たにブログのトップに固定された説明記事にもあるが、このブログは複数のメンバーが気の向くままに記事を書いて作られている)

時は金なり、逆に時間は買うことが出来ない。"かけがえのない"と言われる「命」は日々時々刻々、"消費"されていく。

「金」が大切なものであるというのはおそらく日本において世代も格差も超えてかなり広範囲で共有されていると感じる。そこから順に命>時間>労力と言った感じだろうか?重要であるという認識が薄まって行くように思う。

しかしこれらは全て繋がっており、等しく重要だ。どれかが致命的に欠けた経験のある人間の、偏った価値観とその押し付けは生きる上で最悪のノイズだと感じる。

命と時間がイコールなのは先に書いたとおり、さらに労力(ここでは体力に頭脳・精神的な意味合いを加えたものと考えて欲しい)は就労によって金に変換可能で、時間もしくは金で回復する。

面倒な書き方をしたが、要は経済学の機会費用の考え方である。

しかし、常にこのことを意識し時間の消費を極端に恐れると、何も出来ないという事態に陥る。金と時間のバランスが重要だ。時間の消費を極端に恐れて何も出来ない状態は、時間を必要以上に消費して金を集める状態と同様に良くないだろう。金と時間、全ての源泉である命は日々減っていく。

金も時間も目的では無い。一つの道具、手段に過ぎない。目的は何か、何を得るのか。

経済学的には「効用」、一般的には「幸福」という個人の価値観それぞれに規定されるそれを手に入れるために、金や時間は消費されるべきである。しかし、それが一体どんなものなのか、それすら明確に掴むことは難しい。

金と時間を大量に消費し、それを考え、手に入れるための時間がモラトリアムの本質だろう。他人の意見を聞くのも悪くはない。しかし結局は自分の内面と向き合わなければ答えは出ない。環境や周りの人間のような"細かいこと"などそれの前では"ノイズ"に過ぎない。

様々な形で抱える自分の資本を、非効率に大量投資しても良いと思える効用の在処は見つけられるだろうか。