シルバーペーパー

秘密結社「シルバーペーパー」

半匿名社会における行動選択

顔も声もない、しかし名前だけはある、半匿名社会では、名前に結びついて公開されたあらゆる表現が直接的にその人間性を規定する。

名前とは何なのか。現実の社会において、私たちはあらゆる人間の中でイメージとして記憶され、断片化されている存在である。私達が同じ個体として認識している、一意の名前に紐付いた、指示対象としての人間は常に揺らぎを持った存在である。それはそれを支持する個体と個体の間において情報格差があるために、また、受容する側の回路の違いにより、生成される人物像に差が生じているためである。

半匿名の社会では、私たちは前者の情報格差を(現実世界での存在に比して)縮めることができる。あるテクストに表出された私という人間像は、個人間の受容のされ方自体の差異を縮めることはないが、与える情報の均一性をある水準において担保することができる。特に、その情報量が一定量の下にあるとき、我々は自己というイメージを想定し、コントロール下に置くことができる。現実世界での存在に紐付かない、半匿名の社会において、他人から見た自己という像はほとんど一定の幅に収まる。

半匿名の社会で、名前に紐づくイメージコントロールを最大限に活用しうるのは、他者から見たとき、その人の行為履歴(ある人物に紐づく情報の総量)が、簡単に把握できる量に収まっていることである。名前自体を使い捨てにするということが重要である。使い捨てでありながら、強烈なインパクトを残す、一度きりの名前こそがこの半匿名性の威力を最大化し、民衆に対する強烈な一撃になりうる。